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最高裁判所第二小法廷 昭和51年(オ)771号 判決

上告人

学校法人 法音寺学園

右代表者理事

鈴木宗音

右訴訟代理人

花田啓一

外三名

被上告人

岸勇

右訴訟代理人

寺尾元實

外五名

主文

原判決中上告人敗訴部分を破棄する。

右部分につき本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人花田啓一、同郷成文、同成瀬欽哉、同長屋誠の上告理由第一点について

原審は、被上告人担当のゼミナールの参加学生のストライキに端を発した上告人学園の紛争解決のため、昭和四五年一二月六日、被上告人と上告人学園との間に原判決末尾添付の別紙三記載と同一内容の念書(以下「本件念書」という。)が作成され、被上告人から同別紙四のような上告人学園あての退職願が立会人吉岡進に交付された事実を認定しながら、被上告人と上告人学園とが「右条項(本件念書の第四項)の文言の下に表現しようとしたのは、控訴人(被上告人)が昭和四六年三月三一日までに被控訴学園(上告人学園)を任意退職する代わり、被控訴人においてはそれまでに控訴人を責任をもつて適当な(一応満足しうるしかるべき)大学に転職させるということであつた」から、「本件合意により、控訴人は被控訴人に対し昭和四六年三月三一日までに吉岡進を通じて退職願を提出することにより大学を退職する旨の意思表示をする義務を負い、他方、被控訴学園は右同日までに控訴人を客観的に相当と認められる他の大学に教員として斡旋就職せしめるか、あるいは、斡旋先の意向、事情により転職が遂に成功しなかつた場合においても、客観的な第三者から見て控訴人も被控訴人からこれ程の斡旋の努力を払つてもらえば以て満足すべきであると認め得る程度の高度かつ誠実な斡旋の努力を尽すべき義務を負担するにいたつたものというべきである。しかして、本件合意の成立の過程にかんがみれば、控訴人の債務は被控訴人の債務に対しいわば対価ともいうべき関係に立ち、被控訴人においてその債務を履行しないときは、控訴人はこれを理由として自己の債務の履行を拒み、または本件合意を解除する権利を有するものと解するのが相当である。」と判断している。

しかしながら、本件念書には、その第一項において、「乙(被上告人)は、甲(上告人学園)経営にかかる日本福祉大学を昭和四十六年三月三十一日をもつて自発的に退職する旨申し出で、甲はこれを認めた。但し、乙において右期日までに他職に転ずる場合は、転職の直前退職するものとする。」と記載され、また、第三項において、「右退職にいたるまで(最長期昭和四十六年三月三十一日まで)甲は乙に対し現在の給与額の支払いをなすものとする。但し、その間乙は休職措置を適用されることに異議はない。」と記載されているというのであるから、特段の事情のない限り、上告人学園経営にかかる日本福祉大学を昭和四六年三月三一日をもつて自発的に退職する旨の被上告人の任意退職の意思表示は、本件念書の作成によつて確定的に表示されたものというべきであつて、被上告人においてあらためて右同日までに大学を退職する旨の意思表示をする債務を負うものと解することはできない。そして、本件念書の第四項には、「右退職にいたるまで、乙は甲に対し、日本福祉大学の管理運営について誹謗をなさないことを約し、甲は乙に適当な職場を最大の努力と責任をもつて斡旋することを約する。なお、甲は斡旋経過について立会人に対し、定期的に報告するものとする。」と記載されているにとどまるというのであるから、特段の事情のない限り、上告人学園が就職斡旋の努力を尽くすべき義務を履行したことが被上告人の退職の意思表示の効力発生の条件であるとか、上告人学園の右義務と被上告人の退職の意思表示をする義務とが対価関係にあると解することはできないといわなければならない。

してみれば、首肯するに足る特段の事情を示すことなく、当事者間の合意の内容を記載した本件念書の文言に反して退職の意思表示をすべき被上告人の債務の存在を認定し、これを上告人学園の就職斡旋の努力を尽くすべき債務と対価関係にあるものとした原審の事実認定には、経験則の適用を誤つた違法があるものというべきであり、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、本件は、以上の点につき更に審理を尽くさせるため、これを原審に差し戻す必要がある。

よつて、その他の上告理由について論及するまでもなく、原判決中上告人敗訴部分を破棄し、これを原審に差し戻すこととし、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(本林譲 大塚喜一郎 吉田豊 栗本一夫)

上告代理人花田啓一、同郷成文、同成瀬欽哉、同長屋誠の上告理由

第一点 被上告人の退職を上告人の就職斡旋の努力にかからしめた原判決の判断は、次に述べるとおり、客観的に成立している念書等文言と明白に矛盾しており、理由不備、理由齟齬の違法ならびに判決に影響を及ぼすことの明らかな経験則違背等の違法があり破棄を免れない。(民事訴訟法第三九五条第一項第六号、同法第三九四条)

一、念書文言と原判決の合意内容判断との矛盾

(一) 第二審逆転判決の誤謬の本質

被上告人岸の退職をめぐる上告人学園と被上告人岸との合意内容について、二審判決は、一審判決の判断を全く逆転させ、「最長期」三月三一日までに退職するという被上告人岸の確定的な退職の意思表明を上告人学園の就職斡旋の努力にかからしめ、

「控訴人(被上告人)の債務は被控訴人(上告人)の債務に対し、いわば対価ともいうべき関係に立ち、被控訴人においてその債務を履行しないときは、控訴人はこれを理由として自己の債務の履行を拒み、または本件合意を解除する権利を有すると解するのが相当である」

と判示するにいたつた。

一方第一審判決は、念書とその附属書類たる退職願及び議事録等関係文書に二義を許さず表示された明白な文言を経験則に従い正しく評価して、

「結局第四項(就職斡旋条項)は、退職という原告(控訴人、被上告人)の一身上の問題について、使用者である被告(被控訴人、上告人)もその再出発に当つての就職斡旋の労をとろうとする、いわゆる紳士協定に属するものというべく、本来第一項の条件となりえないものである」

と明快に判断しており、前記第二審判断はこの第一審判決の評価を一八〇度変更した不当極まるものである。

前記二審判示は、念書協議の全過程を通じて全く話題にもならず、且つ一審判決も一顧だにしなかつた被上告人岸の「ワンセツト論」を強いて全面的に採用した独断に満ちたものである。畢竟二審判決の誤謬の核心は、合意内容評価をめぐる同判決の前記判断が、結論のみを被上告人岸の地位確認にことさら焦点をあわせて評価を歪曲したために、客観的に成立している念書の文言と全く相反する矛盾を露呈していることである。

そこで退職合意中の基本的な文言と二審判断が如何に隔絶しているか、二審判断がその点において如何に理由不備、理由齟齬の違法を犯し、且つ経験則から遠く逸脱してしまつているかという点について、まず項をわけて、詳細に分析することとする。

(二) 「最長期三月三一日」なる文言に対する二審判断の矛盾について

1 乙第一号証念書第三項には、「右退職にいたるまで(最長期昭和四六年三月三一日まで)甲は……」と、明白に「最長期」という文言が使用されている。この文言は上告人学園と被上告人岸との退職確認の協議の中で、最初から一貫して変更されていず(甲第七号証の一乃至三から念書にいたる経過に明らか)、同念書第一項の「乙は甲経営にかかる日本福祉大学を昭和四六年三月三一日をもつて自発的に退職する旨申し出で、甲はこれを認めた。但し、乙において右期日までに他職に転ずる場合は、転職の直前退職するものとする」との文言を受け、被上告人岸の退職の意思の確定性を二義を許さず裏付けるものである。

ちなみに右念書第一項の「乙は……退職を……申し出で、甲は……認めた」との文言も、協議経過の中で一貫して変更されていず、かえつて「自発的に」等の文言が、後述のように被上告人岸の積極的意向によつて挿入されたのみであり、むしろ被上告人の退職の確定性をより一層明らかにする結果となつているのである。

2 この事実は上告人学園が、第一審よりくり返し主張しているところであり、例えば、昭和四八年一二月一七日付被告準備書面(第一審最終準備書面)二、(三)、3においても、上告人は次のとおり明快に主張しているのである。

「更に右退職の合意が何らの条件にかかわるものでないことは、文言自体からも、他の証拠からも明白である。原告岸はしきりに念書第四項との関係において『ワンセツト論』を力説するが、念書自体の中に四項が一項の条件となる旨の位置づけは明記されていないばかりか、三項にみられる『最長期』云々の文言をみても、一項の内容が確定的なもので毫も他の条件にかかわるものではなく、四項も当事者の努力義務を明記したものにすぎないのである。」

3 そして、この論点は第二審の審理においても一貫して両者の攻撃防禦の対象となつているのである。

およそ本件第二審判決は、殊更に被上告人の地位確認という結論にあわせて控訴審における供述の断片を拾うという作業に汲々としたのか、客観的に成立している念書文言とそれに沿う事柄の基本的性格の把握を忘れ、第一審の相互の基本的主張立証の対立及びその中で浮彫りにされている客観的事実の重みに全く無神経であるのを特色としている。

例えば第一審以来被上告人岸に対する趣旨不明の同情からか客観的に成立している文言や経過にも反する意図的な証言の断片を残している吉岡証人ですら、第二審反対尋問で、この「最長期」問題をつかれ、一言の反論もなしえないでいることが注意されねばならない。

昭和五〇年二月二六日付吉岡証人速記録三四丁乃至三六丁には次のような応答が顕出されている。

「(甲第七号証の一乃至三を示す)

最長期三月三一日という文言がこの念書にありますね。

はい、あります。

その念書がまとまる過程でいろいろたたき台として話しあつたその経過で、証人は甲第七号証の二の文案ができておる段階から私は協議に参加したようだと、これは一審のときからもそうおつしやつているんですけれども甲第七号証の二というのはこれじやございませんか。

そうです。

だからあなたはまだ参加されない前の段階で甲第七号証の一というような協議がなされたわけですね。

そうですね。

甲第七号証を見て下さい。この甲第七号証の二の書込みでない三項の本文を見ますと、『右退職にいたるまで(最長期昭和四六年三月三一日まで)』というのが学校側が前回の協議に基づいて作つたたたき台としてありますね。だから最長期というのはあなたのご記憶どおり、あなたがその当時立会人として参加されておつたころもう出ておつたということですね。

はい。

甲第七号証の一を見て下さい。これもあなたが参加される前の協議の席でたたき台になつたものだと思いますが。

うん。

この三項にも『右退職に至るまで(最長期云々)』が出ておりますね。

はい。

だから遅くとも三月三一日までに退職するということは、もうあなたがタツチされる前の段階で当事者では話しあわれておつて、(その後も念書にいたるまで)変更になつていないということで伺つてよろしいわけですね。

はい。」

4 そもそも「最長期」なる文言は、その期日にいたるまでの退職の具体的日時は不確定であるとしても、最大限その日までには退職するという趣旨で使用されていることは文理解釈上明らかであり、その期日までにどんなことがあろうとも遅くともその日には退職するという趣旨でしかないのである。

そして、このような自然の文理解釈こそが、「乙は……退職を申し出で、甲は……これを認めた」との念書の基調とも見事に合致するのである。

被上告人岸の退職の意思はこのような「最長期」文言に沿う内容において確定的に申し出でられ、結果として念書に表示されたものである。念書成立までの両当事者の協議も、その退職の教授会退職勧告との関係をどうするか、結局は勧告に従つてやめるのではなく、被上告人岸が自発的にやめるのだということを明らかにする等の退職の動機と精神を中心として続けられたものであり、その間に協議の対象ともなつた就職斡旋の問題にしても、右の「最長期……」退職の申し出でと受理という基本線の中で、上告人学園の斡旋の努力を表明したものにすぎず、それが何らの双務的な法的条件となるものではないことは明らかである。

このことは上告人学園側の交渉当事者大沢証人もくり返し明言するところであり、また何よりも重要なことは、かかる意味での「最長期」文言の正しい解釈こそが、上告人学園が協議の中で就職保障ということを終始認めず被上告人岸もその保障要求を撤回したこと、念書内に何らの破棄条項も存在しないこと、また後述のように被上告人岸が退職願に尊大に表明した退職文言の存在等とも完全に調和するものなのである。

5 しかるに第二審判決は、本件退職の合意の内容についての歪曲した判断の中で、一言なりとも、協議の始めから終了まで終始変更されなかつたこの「最長期」なる文言について説明をしていないのである。

「退職を申し出で……、これを認めた」との両者の合意内容を正しく判断するにあたつて、終始不変の文言及び明確な条項内容に対し、仮りにそれが納得しえるものであるかどうかはともかくとして、触れることさえも全くしていない第二審判決の判断には、まさに理由不備、理由齟齬の違法が存在すると言うべきであり、またこれについて到底説得力ある評価を下しえないものとして言及しえなかつたとすれば、二審判決の判断には、経験法則の重大な違背、採証上の法令違反が存在するというべきである。

(三) 退職願の文言に対する二審判断の矛盾について

1 被上告人岸の退職意思の確定性をどう判断するか、また退職をめぐる両当事者の協議の内容をどのように評価するかという場合重要なことは、その「退職」という事柄そのものが、退職する本人のどのような状況を背景として、その本人のどのような全人格的真情の発現であるかということを、証拠に則して客観的に判断することであろう。

本件の場合「退職」の真意を赤裸々に表現するものとして絶対に無視しえないものが、被上告人岸が本件協議の中で自ら作成し、乙第二号証念書末尾にそのリコピーを添付した退職願である。

2 右退職願には、被上告人岸の退職の真意が、その動機とともに、二義を許さず鮮明に表現されている。

「私は硬直した姿勢をもつて管理体制を強化し、かくして研究教育の自由なふん囲気を自ら破壊し、本学を荒廃にみちびきつつあるとしか思われない教授会に、その一員として席を汚すことをいさぎよしとしない。

よつて今回、本学を退職することを決意し、ここに退職願を提出します。」

右の文言の中には、それが被上告人岸の偏狭な独断に基づくものであるにせよ、被上告人岸の上告人学園に対する全人格をかけた確信的評価に基づき、学園にとどまることを「いさぎよしとしない」という積極的決意が確乎として表明され、後に別項で詳述するように、念書前書の態度表明とあいまつて、それを避けては如何なる評価も正しく導き出されえない決定的な素材が提供されているのである。

3 上告人学園と被上告人岸との間に本件退職に伴う協議が行われ調印される以前の段階については、甲第五号証(教授会公示)等文言や大沢証言等に明らかである。

一九六〇年代以降日本の全大学を混乱に陥し入れた大学紛争に根を同じくする岸ゼミストライキ問題に端を発して、被上告人岸がとつた偏狭で独断的な態度、またそれに伴う被上告人岸の「大学自治」原則に抗う非人間的非常識的言動は、大学自治の担い手である教授会から、被上告人岸を除く全員の議決によつて被上告人に対する退職勧告がなされる事態にまでたちいたつたが、被上告人岸は終始自己の過激偏狭な立場を正当化し、逆に上告人学園の教授会を中心とする大学運営体制を口を極めて罵倒するという態度を変えなかつたのである。

上告人学園理事会は、教授会の退職勧告は勧告として、雇傭問題上事態を円満解決するため、被上告人岸と協議を行つたが、右協議自体、被上告人岸に、教授会の退職勧告はともかくとして、自ら退職する意思が存在することが確認されたからである。右は大沢証言にも明らかであり、協議中でたたき台とされた甲第七号証の一乃至三の文書や、乙第二号証念書の第一項や第三項の表現が当初から不変であることによつても裏付けられているのである。

そして、その協議の席上でも、被上告人岸は、一貫して上告人学園教授会に挑戦的反抗的態度をとり続け、まさにそのような態度の帰結として、「最長期三月三一日」にいたるまでの「自発的」退職が確定的に申し込まれ且つ受けいれられ、しかも、その申し出の基本的動機・心情が、「……一員として席をけがすことをいさぎよしとしない」点にあることが、念書前文とともに客観的文言としても明らかにされることとなつたのである。

4 「席をけがす」ことを「いさぎよしとしない」等の積極的確信的退職意思は、そもそも「就職できれば退職、できなければとどまる」とか、「就職斡旋の努力が十分ならば退職、そうでなければとどまる」等の不確定性受動性とは全く相いれない反対物である。

第二審判決は、事案の大綱を貫くこの基本点について、全く判断を欠落させ、初歩的な論理法則を敢て無視して、念書条項の解釈と協議それ自体の評価に驚くべき曲解をなしているのである。その点の評価は後に譲るとして、事実を歪曲し虚言をくり返した吉岡証人や被上告人岸自身も、一審二審をとおして、この自己矛盾をどのようにとりつくろうとしてもとりつくろえないでいることに、上告審の注意を換起したいのである。

5 この点をもつとも象徴的に浮彫りにしているのが第一審反対尋問に対する岸供述である。昭和四八年一二月三日付本人調書(第一審の三冊目)の一七丁以下には次のような応答が顕出されている。

「乙第一号証の二を示す

これは乙第一号証の一の念書の付属書類ですが、この文案自体は、乙第一号証の一の念書が具体的に調印された、これは一一月三〇日となつていますが、実際には一二月六日ですか。

はいそうです。

その一二月六日の前の段階にはあなた自身がお書きになつて乙第一号証の二の原本を持つておられたわけですか。

そうです。一二月六日に出したんですが、その前に書いたんです。その前と言つても念書の調印ではありませんで一一月二七日に念書の案について実質的に三者の合意が達成された、その後ですね。その後調印予定日までの間に書いたんです。

それを書くにあたつてはあなたの自宅で、自分で書いたのであつて、吉岡さんに相談したりしたことはありませんね。

書く時点では相談しないけれども、こういう内容のものを書いてはどうか、書いてもいいのではないかという大沢君の再三にわたる話合いの中での提案、そういうものがこのような内容のものを書くに至つた一つの重要な理由になつているわけですね。で、大沢君もなかなかいいことを言うと……。いいことを言うということではなくて……、この文章について聞きますが、『私は、硬直した姿勢をもつて管理体制を強化し、かくして研究、教育の自由なふん囲気を自ら破壊し、本学を荒廃に導きつつあるとしか思われない教授会に……』とこういうふうに評価しておるというのはあなたの本意ですか、本意ではないのですか。

それは……、私は大学の教授会がそのような傾向を強めているということについて強く感じていたこと、そういう意味で本意であるということです。

だからその教授会に『その一員として席をけがすことをいさぎよしとしない』というのも本意ですね。

これは本意ではございません。というのは、これは退職願でありますので、こういうわけで退職するんだという理由を書かなければならないわけですね。ですから結局なぜ退職するかという理由ですので、その理由を書く場合におきましては、結局、この教授会の一員として席をけがすことをいさぎよしとしないというふうな表現が前後の関係から導き出されてくるわけですね。

それで?

それで本意でないということは、既に退職願を提出しておりますが、作成する前の段階、すなわち一一月二七日において念書について合意がなされた、そのときに前文をこの前証言しましたように私の提案で前文をつけたと、その前文の中に明記されておりますように私としては不本意であると、しかし向こうの誠意を認めて不本意ながら当面の事態の円満な解決を図るべく決意したということですね。だから、この学校を退職することは不本意であるということは既にあの時点において明言しているわけです。ただ、これは退職願という性質のものでありますので……。

そういう前提をつけた上で、これは本意なんですか、不本意なんですか。あなたがその段階で『不本意ながら事態の円満な解決を図ることを決意した』ということを前提として、あなたの本意でしよう。

これはこの前言いましたように退職にあたつての声明というような性質のものでありますので、したがつてこういうふうな表現になるわけです。

声明であると同時に、その声明を発して、それが翌年の三月三一日までにどこかに就職が決まられたり、あるいは自発的におやめになるときに、あなた自身が大学当局に出すものとして予定された退職願であることには違いがありませんね。

それは、この前言いましたように……。

その点はどうなんですか。あなた自身がお書きになつたこの文書が、どの程度が真意であり、どの程度が真意ではないかということですか。

真意か真意ではないかという……、確かにある意味ではデリケートですが、大学に対して岸ゼミスト以来の対応の仕方について、私はここに書いているような厳しい批判的な気持を持つてきたということは真意であります。しかしそのことと、だから退職をするんだということは別個の問題でありまして、むしろそうだからこそ、この中に踏みとどまつて頑張るということも一つの道であるわけですね。したがつて私としてはここにくいとどまつて頑張るという線を選んだわけです。だけれども、一応一一月二七日に事実的に念書について合意がなされているわけです。そして、その第二項に基づいて退職願を私が書いて吉岡先生に預けると、そういう趣旨の規定が置かれたと、したがつて念書の規定、記入事項を履行する意味において退職願というものを書いて、吉岡先生に預けたと、しかしながら、これはこの前言いましたように、念書の本文第二項に書かれているように、退職時に際し立会人から理事会のほうに提出するという性質のものであつて、したがつて普通のように退職願の数ケ月前に出すという、そういう普通の意味の退職願とは性質を異にするものであると、そういう意味で、この前言いましたように、形は退職願であるけれども、実質は、これは退職にあたつての声明であると、こういう風に私は理解し、したがつて退職にあたつて私がなぜ退職したかと声明するわけです。そのときには当然岸ゼミスト以来のそういう教授会に対する批判的な気持を書いて、実質的には声明として出すと、こういう趣旨をもつて……。

そういう趣旨を持つた退職願を作つたことはあなたの真意であることは間違いないでしよう。あなたが今お考えになつた中でも言われましたけれども、そのまま踏みとどまつて頑張る道もあると言いましたが、この文案は、自ら破壊し本学を荒廃に導きつつあるとしか思われない教授会に踏みとどまつてとは書いてなくて、その一員として席をけがすことをいさぎよしとしないと書いてあるから、それはあなたの真意でしようということです。

踏みとどまるということはないでしよう。それはあたり前です。」

6 いささか冗長となるおそれを敢て押し切つて、ここに速記録全文を引用したのは、被上告人岸が文書に歴然たる自己の主体的退職決意についてさえ「真意か否かはデリケート」、「退職願は声明だ」等不明確な応答をくり返しつつも、客観的事実の重みの中で、遂には「踏みとどまるということはないでしよう。それはあたり前です」と、自分が上告人学園にとどまることを「いさぎよしとしない」という立場から決然と退職を申し出で、それがそのような趣旨のものとして受けいれられ念書が作成されたことを認めざるをえなくなつている経過を、上告審裁判所に卒直に判断して頂きたかつたからである。

(ちなみに、右速記録中被上告人岸が念書前文中の「不本意」なる字句に言及して、退職願文言の本意性を否定しようと強弁しているが、これも、前文自体の文理からみれば、教授会の勧告が岸の自発的退職の意志にそぐわず不本意であるというにすぎないことは明らかであり、毫も退職願そのものに表明された文言を否定する論拠とはなりえない。この点は後に本章(四)でも附言するが念のため、ここで一言しておく。)

ところで、第二審判決は理由五の末段のところでこの退職願の文言に言及した上、

「しかしながら、右のような事実があるからといつて、控訴人がただちに前記大学教員の地位を放棄したことにならないのはもちろんであるし、そもそも右退職願自体がまだその効力を発生していないことは既に述べたところから明らかである。ましてや控訴人が教授会ないし被控訴人学園にいやし難い悪感情を懐きながら、なお、その職にとどまろうとしたところで、それは法律以外の精神生活の領域で問題となりうる事柄にすぎないものであり、控訴人の法律上の地位に影響を及ぼすべきものではない。」と不可解な説明をしている。この評価は明らかに誤つており、こじつけも甚だしい。

7 第一に本件は被上告人岸が上告人学園に単にいやし難い悪感情をいだいていたということではなく、「とどまるをいさぎよしとしない」という積極的な意向が退職願という文書に表示され、しかもその退職願のリコピーが念書に一体として綴じられ立会人を含めた三者が各自所持するという形で合意の内容となつているということである。

ことは「法律以外の精神生活の領域で問題となりうる事柄にすぎない」のではなく、こういう形で念書の内容となつているのであり、まさにそれ故に念書の法的解釈の基準となつていることが重要なのである。そして、このことを被上告人岸も認めざるをえないからこそ、前記の如く、被上告人岸は、それが本意であるかどうか必死に弁解しようとして遂に破綻しているのであり、また一審三冊目(48・12・3)本人調書二四丁以下では、念書と退職願リコピーが一体となつていることすら「学校側が勝手に綴じたにすぎぬ」と否定しようとしてこれまた破綻しているのである。

ちなみに吉岡証人ですら第一審二冊目(48・1・31)証人調書三一丁から三三丁にかけて、退職願がその文意のままの内容において受けいれられ念書が成立し、だからこそ両者が一体として綴じられ自分を含めて三者がそれぞれ所持することになつた客観的事実を

「じやこの退職願をこの念書に綴じようということも、その場で順調に行われたのですね。

はい」

と認めざるをえないのである。

要するに、「とどまるをいさぎよしとしない」という積極的退職の意思は、このように協議の中で問題となりそして念書の内容となつているのであり、法律以外の精神生活の問題とする第二審判断は全く牽強附会の論理である。

第二に、退職願が最長期三月三一日までの何日に退職するか不明のまま吉岡に預けられていたからといつて被上告人岸の退職が確定的に申し出でられ受けいれられたことにはまつたくかわりがないということである。

この点について、第一審判決も理由三、(三)二段目で

「なる程原告の提出した退職願は、期日欄は白地であり、現在においても吉岡が保管中であるが、右は原告が最長期限以前に他に就職する場合がありえるので、そのために退職日が不確定なためとられた措置であることは明らかであり、原告の退職自体が不確定なわけではない」

と判断しており、要は念書全体の文理を各項全体の統一的把握の上でどのように評価するかという問題であるのである。

8 くり返して言うが、「席をけがす」ことを「いさぎよしとしない」等の積極的確信的且つ挑戦的退職意思は、「就職できれば退職、できなければとどまる」とか「就職斡旋の努力が十分ならば退職、そうでなければとどまる」等の不確定性とは全く相いれない反対物である。そして被上告人岸は、(次項でも前文の分析において詳説するが)、まさに教授会退職勧告は不本意であつたとしても、それ故にとどまるのではなく「とどまるをいさぎよしとしない」という道を選んだのである。即ち、どういいくるめようとしても、「自発的」退職そのものは退職願文言と念書前文に徴して本意であつたのである。

第二審判決は、このような二義を許さず明快な被上告人岸の自発的確信的且つ挑戦的退職意思の発現とそれに基づく念書の成立を看過し、逆に念書そのものの条項にも文意にも毫末も伺うことができない「就職斡旋条件論」(「ワンセツト論」)を強いて認定したものであり、この点に理由不備、理由齟齬の違法があることは明らかである。

(四) 前文宣言の持つ意味と二審判断との矛盾について

1 乙第一号証念書には、一項から四項までの具体的条項に入る前に九行からなる前文がついている。それは次のとおりである。

「甲・乙は、乙に対する教授会の退職勧告をめぐる雇傭関係について協議をかさねてきた。

乙は教授会に対し不当な退職勧告の撤回と陳謝をつよく要求してきた。また、今後もあくまで要求しつづけるであろう。しかしながら甲の誠意を認めて不本意ながら当面の事態の円満な解決をはかるべく決意をした。甲も乙の誠意を認め、両当事者間に次の通り合意が調つた。よつて後日のため、本書三通を作成し、甲乙および立会人各一通ずつを所持するものとする。」

2 右の前文は、後の二行を除き、本件協議の経過と中味を説明する点で極めて重要な内容のものである。

まず最初の二行、両当事者が「教授会の退職勧告をめぐる雇傭関係について協議をかさねて来た」なる前置きは、第一に、本件で問題になつている協議が、上告人学園理事会が教授会の退職勧告はそれとして、独自に被上告人岸との雇傭関係上の問題の解決を目途として、退職勧告とは別に被上告人岸に退職の意向があることを確認した上で、もたれたものであること、そして第二に、その協議の中心が被上告人岸の退職と教授会の退職勧告とをどのように位置づけるかという点にあつたことを示している。

そして、第三に、前文の真中の数行こそ、この問題における両者の立場の宣言であり、被上告人岸にとつては、決して教授会の退職勧告によつてやめるのではなく、教授会の退職勧告は岸にとつて不本意ながら、自己の主体的判断で職を辞する旨の主旨を鮮明にし、前項で述べた退職願の文言とともに、このような主体的立場を確認し宣言するということが協議の中で可能になつたという一事をもつて、まさに懸案の事項の解決をみて一挙に合意が成立するにいたつたことを示しているのである。

甲第七号証の一乃至三の経過をみても、まさに第七号証の三にいたつてはじめてこの前文が登場して来ているのであり、いわば、被上告人岸にとつては、上告人学園に対して「言いたいことを言つてやめる」ということが、この時点で文言上明確となつたのである。

3 右の第一の論点、協議が始められる経過については、上告人学園の担当理事大沢証人が第一審以来くり返し証言しているところである。

第一審の昭和四七年二月二三日付大沢証言速記録は第七丁で、乙第一二号証の教授会退職勧告についての問いあわせ文書に対する被上告人岸の回答を確かめた時点のことを、

「これは岸さんのほうからそういう形でこの諾否が考慮中だということでございましたので、退職勧告を受けるかどうかは別としても岸さんとして、とにかくそれ(退職のこと)を考慮としているというふうなことがございましたので、理事会としてはその翌日、岸さんに学園のほうへ出頭するように、そして岸さんとの間で直接その問題についてお話も聞き……会合を持ちました。」

と証言しているのである。

また同調書第十丁でも理事会と岸との接触の結果について、

「……岸さんのほうでは、退職ということについてはやぶさかではないけれども教授会の退職勧告が出されたのでやめるというのは、これは岸さんの信条からいつても耐えがたいことであるというふうなことがあつたと思います。」

と述べ、被上告人岸の休職を一〇月三一日までに延長することを双方合意した上で本格的な退職の話しあいに入つたことを証言しているのである。

4 このような経過を経て積み重ねられた協議であつたが故に、第二に、その協議において、被上告人岸の退職と教授会の退職勧告をどのように位置づけるかということが主題であつたことは当然のことであり、その点は被上告人岸自身さえ供述速記録の中で自認しているのである。

第二審の昭和五〇年四月二三日付本人調書三八丁には、この退職勧告撤回要求にからむ念書前文の記載について、

「はい、どうしても、この問題について、一定の解決がなされねばならないわけなんですが、いくら就職保障についてどうなつても、基本的には二次的なことでありますので、それで、私は、この問題について是非前文を設けて、そこでこの問題について簡単ではあるが、そういう文章を盛り込むということを提案し理事会の方もそれに賛成したということです。」

と明白に述べ、同じく第二審の昭和五〇年六月一八日付速記録の二八丁でも、この前文の文章化について、

「単に私の気持を出さなきやいかんというそれくらいの趣旨で前文を提案したんじやないのです」

と、被上告人岸がこの前文の宣言を如何に協議の中心として重大視していたかを力説しているのである。

このように、協議の中心は全く就職問題ではなかつた。それはまさに被上告人岸も明言するとおり、「二次的」なことであり、問題は被上告人岸が、教授会の退職勧告に従つてやめるのではなく、如何に自発的に主体的に、いわば「とどまるをいさぎよしとせず」やめるかということをどのように明らかにするかという点に協議の中心点が存在したことは、あらゆる証拠に沿つて自明のことであつたのである。

5 協議の中心がまさにそこにあつたが故に、念書前文に教授会退職勧告に対する岸の主体的立場を宣言させ、あわせて、退職願にもこのことを明らかにするという点が合意されたことによつて、本件退職をめぐる協議は、一挙に終結をみたのである。この点が協議の全経過のポイントである。

この点を被上告人岸自身も、第二審昭和五〇年六月一八日付速記録の第一六丁で、自ら強調しているのである。

「……撤回と陳謝という根本問題が解決されるということが、あくまでもこの念書というものの前提条件なんです。だからそれが解決されるならば、この文章若干変更しましたが、これでもいいでしようと。」

まさに、この問題が根本問題であり、その点を念書前文と退職願文言によつて明らかにすることが被上告人岸の自発的退職のポイントであつたのであり、就職斡旋の問題等は二次的附随的であり、ましてや退職の条件となるものでは毫末もなかつたことは、ここでも明らかとなつているのである。

6 第二審判決の誤つた判示は「協議の中で就職問題が重要なものとして合意されなければ、退職する被上告人岸にとつて何らの代償もなかつたことになる」との不可解な評価の上に就職斡旋の努力と退職を「ワンセツト」として条件化する誤謬を犯したが、今この項で分析した右の事実は、この評価の独断性を鮮やかに浮彫りにしている。この「代償論」の誤謬については別章で別に論述するが、少くとも、このような形で合意をみた前文の重大性、即ち、被上告人岸が、前記退職願文言とあわせて上告人学園に対し「いいたいことをいつて自らやめる」という積極的立場を自ら鮮明にした文言は、被上告人岸の退職を不確定な条件にかからしめた第二審判決の評価の反対物であり、第二審判決は、この点においても、理由不備、理由齟齬、経験則違背の違法を犯しているというべきである。

(五) 「保障」要求の撤回、「斡旋」貫徹の事実に対する二審判断の矛盾について

1 上告人学園理事会と被上告人岸との協議の中で、上告人学園が被上告人岸の就職のためどういう態度をとるか、どのように協力し斡旋するかという点について話しあわれたことは事実である。

しかし、その「就職」問題は、前項で述べたように、あくまでも二次的、附随的な問題であり、協議の中心は被上告人岸の自発的退職と教授会の退職勧告との調整にあつたのである。

しかも大切なことは、そのような附随的問題においてすら上告人学園は、被上告人岸の就職の「保障」はできない、「斡旋」にとどまるという立場を貫徹し、また被上告人岸も「保障」要求を撤回していることが重要である。

2 被上告人岸の「保障」要求の撤回は、その成立に争いがなく、かつ一二月六日調印に先だち写しの配付を受け学園が読みあげるのを目読しつつ確認したことを被上告人岸自身が認め、且つ立会人吉岡証人も認めざるをえなかつた乙第二号証議事録にも、明白に記載されているところである。

右議事録には、一二月三日の予定された調印に先だち被上告人岸より文言変更要求があつたが、上告人学園理事会としては受けいれられないとして調印を断念し協議に入つた旨経過が説明された後、明白に、「保障」文言の加筆を突然要求して来た被上告人岸に対して、

「本件は斡旋を行つても受入れる側の意思によつて左右される問題であるので認められない」

旨答え、被上告人岸において「自分の責任で」右要求を取り下げた旨記載されているのである。

右議事録は、一二月三日調印するばかりの状況になつていた段階で突然被上告人岸が文言変更要求をして来て、結局調印が一二月六日に延期された経過もあつて、後日のためその経過を明らかにしておくため三者の合意により確認されたものであるが、このような状況も示すように、またそれまでの協議の経過が示すように、被上告人岸にとつては、就職保障の要求など、それまでの話合いを前提とする限り、独立の人格としてそのことをまともに提出すること自体恥ずかしくてできえなかつた性質のものであつたことが重要である。

3 本件念書成立にいたる過程は、上告人学園の第一審最終準備書面(昭和四八年一二月一日付)二、(二)で詳細に分析したところであるが、そもそも被上告人岸の三つの要求中二次的な「就職保障」問題は、当初から「再就職問題は相手方大学の問題であるから保障できる問題ではないこと、また自発退職である以上就職保障要求はそもそも不合理であること」の二点にわたつて被上告人岸に対し説明され、甲第七号証の一の念書案文たたき台が作られる前の一〇月三一日の段階で被上告人岸においてすでに了解されていたことなのである。

このことは第一審判決も事実認定で認めているところであり、判決理由二、(一)2の三段目で、一〇月末段階のことを、

「原告は、右話合において理事会の労を多とし、退職の意思はあるが、退職勧告を受けてやめるという印象を避けたいなどの理由で、年度一杯の昭和四六年三月三一日までに退職する、それまでに他に就職がきまればその時退職すると述べ、話合は専ら(イ)(教授会退職勧告の撤回と陳謝)の処理を中心に行われた。」と事実に即して判示しているのである。

その後右合意を前提に甲第七号証の一から三に協議がすすむがその中においても、前項で分析したように退職勧告問題を甲第七号証の三記載のとおり前文と退職願文言により処理することに合意をみて、一二月三日の調印の日が予定されたことは、全証拠に明らかなのである。

4 従つて被上告人岸が調印のその日になつて、被上告人岸の退職が就職の成就にかかるような「保障」要求を突然出してくることなど、それまでの経過を前提とする限りありえなかつたわけであり、さすがに被上告人岸自体も本人尋問の中で、その破廉恥さを自認しているのである。

例えば第二審本人調書昭和五〇年四月二三日付速記録四四丁で

『まあ、お恥ずかしいことではありますけれども、やはり、神戸の卒業生からそのような提案があり……そうした意味で卒業生の意見ももつともだと考えまして、「保障」という言葉を念書の中に明記するように修正提案をしようということになつたわけであります』

と「お恥ずかしい」「卒業生……云々」をくり返し、また第一審の昭和四八年一一月二五日付本人調書第四〇丁や、第二審の五〇年六月一八日付調書三四丁でも、破棄条項の要求(これも突然言い出され撤回された)を含めて、「神戸の卒業生から……心もとないと云われて……」とか「……考えが変わつた」等の供述を残しているのである。

5 被上告人岸本人が「お恥ずかし」と言い、卒業生等他者をあげつらうのは、話合いの経過と合意内容からみて、今更要求として出しえないことを調印の当日敢て提出するという破廉恥さを自らかくしえないからであり、それ故にこそ議事録にもあるように事柄の道理に納得して簡単に取り下げるにいたつたのである。

しかも議事録にある、保障要求と破棄条項を「自分の責任でとりさげる」との文言中「自分の責任で」の趣旨は、まさに卒業生等他者が何と言おうと自分としては道理と従来の合意の線でとり下げるという趣旨であり、事物の客観的推移をいみじくも浮彫りにしているのである。

6 このように、本来協議の前提から外れ畢竟協議の極少部分における当事者以外の第三者(卒業生等)の雑音に等しかつた「保障」要求、しかもまさしくそうであつたからこそ、まもなく撤回された「保障」要求に、殊更協議の中心としての意味を持たせ、それに代るものとしての「斡旋」条項を“法的”意味ある双務的義務として位置づけた二審判決「代償論」等の誤謬については、次章で別に論ずるとして、ここで重要なことは、「斡旋」と「保障」とは文理上も決定的な違いがあることである。

「保障」とは被上告人岸の就職を上告人学園がうけあうことであり、協議の主題がこれでありまたその結果がそのように合意されているのなら、被上告人岸の退職がその条件にかかる不確定なものと評価されてもいたし方のないものである。

しかし協議そのものがそのような性格のものではなく、また結果としても、一方において被上告人岸の自発的挑戦的退職意思が益々鮮明化され、他方において「斡旋」という文言で、客観的に合意をみた本件念書の解釈に、右「斡旋」条項が文意にも反して、退職の条件となる如き解釈の入る余地はないのである。

「斡旋」とは、文理上紹介し仲立ちをすることである。そして上告人学園は、被上告人岸の就職を大学人事の特殊性と本件問題の複雑性から、絶対にうけあうことができなかつたからこそ終始「斡旋」の立場を貫き、被上告人岸もそのような状況を知悉して、その上本人にとつて二次的附随的問題であつたからこそ、それに同意したのである。

この点において一審判決が「また大学教授の就職はその性質上特別の事情の存しないかぎり保障しえるものではなく、かかる成否の不確実なものを退職の意思表示の条件とすることは通常考えられないところである」と判断しているのは、この「保障」問題について極めて示唆に富む卒直な判断というべきである。

7 自発的挑戦的退職という事柄の本質と協議そのものの客観的内容からみて、被上告人岸は、自らの責任において合意したこの点の問題を反対尋問されるや、全く支離滅裂の状態となつていることが注意されねばならない。

第二審の二回目の本人調書(昭和五〇年六月一八日付)二九丁において被上告人岸は議事録そのものの記載に間違いないでしようと念をおされて、

「これを……まず、この乙第二号証そのものは、私は今言われたように確認しておりますが、ただ、乙第二号証の、……もちろん言うまでもないことなんですけれども、このようにこの議事録をまとめたと……受けいれる側の意思によつて左右される問題であると認められたというふうに我々はそのときの話合いの……、あつこれは、……何かな……むこう側か……大学側がこういうふうなことを……そこにこういうふうにまとめたこと自体、そのまとめ方が、その当日の第三者の……」

と混乱の極致に達し、更に「どういう表現なら一番良かつたのか」とだめを押されて、三一丁で、

「私の記憶では、まあ、簡単に言いますとね……まあ、これは、大沢君のほうからももちろんこういうふうな……大沢君のほうから……どうやつたかな……結局そういうことですね……」

と「保障」と「斡旋」のちがい、「斡旋」に「保障」と同じ意味を持たせることの誤りを遂に自認しているのである。

8 協議の両当事者が、協議自体とその結果である念書の中で、全人格を傾けて使い分けている「保障」と「斡旋」の文言のちがいを看過することはできない。上告人学園としては、被上告人岸の就職をうけあうことはできず、他方被上告人岸の自発的挑戦的退職という本質からみて就職問題を退職の条件にかかわらしめることはもともとできない性質のものであるからこそ、「斡旋」の文言を貫徹し、被上告人岸も右道理を無視しえず、恥ずかしながら卒業生の立場から提案してみた「保障」文言の追加要求をあつさり撤回したのである。

このことと、次項にも述べる念書自体に「ワンセツト」の明示がない等の各文言の重みを勘案すると、本件就職「斡旋」条項は、まさに、第一審判決判示のように「退職という原告(被上告人)の一身上の問題について使用者である被告(上告人)もその再出発に当つての就職斡旋の労をとろうとするいわゆる紳士協定」以外のなにものでもないのである。

9 被上告人岸の就職問題を被上告人岸の退職の条件として双務的に曲解した第二審判決の判断は、もともと「保障」とは異なる「斡旋」の概念を、協議の全経過とその本質や「斡旋」という文言の文理に反して「保障」と同一視する誤りを犯したものであり、この点明白に理由不備、理由齟齬の違法があるものである。

(六) 「ワンセツト」の明文のないこと、及び破棄条項削除の事実に対する二審判断の矛盾について

1 「およそ現代社会において、ある一つの物事に関し両当事者の合意が調い、それが文書にまとめられた時、その合意の成立に向かつて協議過程に注がれた両当事者の努力が大きければ大きい程、その結果としての文言の重みは大きいと言われなければならない。それは協議の過程の中で合意のあらゆる側面が検討しつくされ、あますところなく文言自体の意味内容が確定されている筈であるからである。……本件合意内容を評価し確定するにあたつて、理性も分別もある当事者がまとめた文書の文言自体がまず客観的に爼上に上らねばならないことは多言を要しないところである。」

これは上告人学園が第一審最終準備書面二、(三)の冒頭で合意内容判断の基本原則について論及した部分である。

本上告理由書において上告人学園は、今まで念書と関係文書の客観的文言の一つ一つを踏まえて、二審判断の矛盾について論及して来た。そして、いよいよ本項において、念書そのもののどこにも、第一項退職条項と第四項就職斡旋努力条項との間にワンセツトの明文がないこと、また念書全体の文意からみてもそれがありえる筈がないこと、また二審判決が安易に被上告人岸の本件合意の解除を認定したが、念書自体が被上告人岸の破棄条項の撤回によつて本件合意の破棄を予定していないことについて言及したいと思うのである。

2 念書は第一項において「乙は甲経営にかかる日本福祉大学を……自発的に退職する旨申し出で、甲はこれを認めた。」と記載され、第二項において退職願の事務的扱いについて、第三項に於いて最長期三月三一日までの給与額及び休職措置についてそれぞれ言及し、そして最後に、被上告人岸の上告人学園に対する誹謗をなさない義務と、上告人学園の被上告人岸に対する就職斡旋の努力義務を並置している。

この形式のどこをみても、第一項と第四項が双発的にかかわりあうという解釈はでてこない。かえつて一項における確定的な退職の合意が二項三項の内容において更に事務的にも深められ、最後に第四項において附随的に、誹謗をなさないという被上告人岸の努力義務に就職斡旋についての上告人学園の努力義務が対置される関係で協定されていることが明らかなのである。

第一審判決が、

「なる程、原告の提出した退職願は期日欄は白地であり、現在においても吉岡が保管中であるが、右は原告が最長期限以前に他に就職する場合があり得るので、そのために退職日が不確定なためとられた措置であることは明らかであり、原告の退職自体が不確定なわけではない」

と判示した上で、念書第一項と第四項とにワンセツトの明文のないこと、本来保障しえない大学教授の就職という不確定物が退職の条件となりえる筈がないことを懇切に判示した上、

「そうすると結局第四項は、退職という原告の一身上の問題について、使用者である被告もその再出発に当つての就職斡旋の労をとろうとする、いわゆる紳士協定に属するものというべく本来第一項の条件となり得ないものである。」

と判断したのは、文理上当然の判断であり、更に既に詳説した退職願議事録の文言からみても、それ以外の解釈はありえない事理にかなつたものであつたのである。

3 ここで更に、破棄条項が被上告人岸より調印直前突然持ち出され結局は被上告人岸自身の責任においてとりさげられていることにも一言言及することとする。

その本質と経過は本章(五)項で「保障」とり下げの経過について論述した部分と同じであり、要は、被上告人岸の確定的退職を前提とする協議そのものの本質とそれまでに合意されていた内容からみて、到底問題となりえない条項を被上告人岸が、卒業生等第三者に藉口して恥ずかし気に持ち出してみて、結局道理に即して手もなく取り下げたにすぎない要求が破棄条項なのである。

このように、破棄条項について念書が何ら規定していないこと、それも単に内容を詰め忘れ明文化されずに解釈の余地を残しているのではなく、明白に被上告人岸自身の責任によつて取り下げられた結果規定されなかつたという客観的事実に反して、結果的に合意の破棄を肯定している二審判断の誤謬は明白であると云うべきである。

4 ここで客観的に成立した合意の内容について立会人がどういう役割をになつているかという点について一言しておきたい。

立会人吉岡は、被上告人岸の要請で立会人となつた被上告人岸の旧友であり、本件第一審第二審両審理を通して、客観的に成立した文言に反する矛盾に満ちた証言に終始しているが、その吉岡証人ですら、念書成立以後、合意内容について事後調停者的に判断するとか念書の効力について判断するとかの立場にはないことを明言しているのである。

吉岡証人の第一審二冊目の速記録(昭和四八年一月三一日付)三二丁には、被上告人岸の退職願に関連した質問で「私がこういうふうにしろとか何とかいう権限もまた役割もないし、したがつて機械的にそういうふうに処理するということだけであります」純粋な第三者の立場を強調し、更に退職願を預つた主旨についても、現実の限職期日が昭和四六年三月三一日以前のいつになるか未定なので預つたのであり第三者的に処理するということには変わりがないとくり返した後、

「だから少くとも立会人として吉岡さんが最後にこの念書に双方が合意した部分に署名した段階においては、あなたとしては、この内容について事後調停者的に判断するとか、この効力について一定の判断をする立場にあるという認識はなかつたんですか、念書調印のとき。

念書調印のときはございません。

だから事後の処理も事務的にやつて行くんだというつもりだつたわけですね。

はい」

と応答しているのである。

このやりとりは吉岡証人が矛盾に満ちた主尋問の中で、立会人になる時は純粋の第三者の立場だつたのが協議の中で調停者的立場に変質したとか、変質したとは言つても限界はあり第三者的立会人という気持は一貫して持つており、単に双方から相談を受ける事態もあつたにすぎなかつたのだ等々、ゆれ動いた証言に終始した後、反対尋問で明らかに答えた箇所であるだけに、少くとも念書調印成立の後に立会人として独自の判断を委ねられる部分はなかつたということを鮮明にしたものである。

5 立会人吉岡が、退職合意の有効無効、破棄撤回の可否を判断する立場にはなく、単に期日未定の退職願を預り事後的に事務処理する立場と、斡旋経過について報告を受ける立場にだけあつたという事実は、明文上の不存在というにとどまらず前述の破棄条項の取り下げという事実とあいまつて、念書の第四項が、被上告人岸の最長期三月三一日までの退職を前提として附随的に、被上告人岸としては学園誹謗をやめ、上告人学園としては就職斡旋に最大限の努力をするという、退職確定日三月三一日までの相互の平和的信頼関係の維持を紳士協定したものでしかないことを如実に示しているというべきである。

また双方の何らかの義務が双務的関係に立つとすれば、この「誹謗をしない」義務と「最大限の努力と責任をもつて就職斡旋をする」義務とが双務的立場に立つのであり、第四項が第一項の条件であるとは、逸脱も甚だしい暴論である。それは同じ第四項それ自体の中で互いにその点に努力するという信頼条項にすぎない。

6 右のように、念書条項のどこをみても、第一項が第四項にかかわるという明文がないばかりか、結果的に破棄条項そのものがとり下げられている事実と二審判決の判断との間には、文理にも反する決定的な矛盾が介在しているのであり、この点においても二審判決には理由不備、理由齟齬の違法が存在しているのである。また前に触れた一審判決の正当な評価と対比しても、二審判決の逆転判断は、客観的に成立している文言に殊更背理する経験則上の重大な違反を内包しているというべきである。〈以下、省略〉

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